ステップフォード・ワイフ(+ちょっとだけ直虎)




ジョアンナはやり手のテレビプロデューサー。
しかし作った番組が過激すぎたことで周囲の反感を買い
職場を去ることに。
心配した夫のウォルターは、一家で静かな郊外に引っ越すことを提案。

新天地のステップフォードは、平和で美しい町。
しかしジョアンナは、この町の女性たちが皆全員揃って専業主婦、
セクシーで親切でいつも笑顔でいることに違和感を覚えます。

この町の女性たちは、何かおかしい。

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ステップフォードの妻たちのファッションが素敵なのですよ。
みんな髪を巻いて、花柄のワンピースを着て、
物腰なんかいつもダンスしているみたいに優雅で。


でも、彼女たちはちょっとおかしいんです。
いつもニコニコしているだけで、会話に中身がない。
いつも服装も家もお人形みたいに綺麗で、生活感がない。
主婦だけど、子供達を叱ったり友達と噂話をしたりもせず、
夫に逆らうなんてとんでもない。
自分の意見なんか持っていない。


はじめはこの町に溶け込もうと頑張るジョアンナですが、
夫に従うだけの周囲の女性たちを怪しむようになります。
同じように感じていたご近所さんのボビーとロジャーと出会い、
3人で町の秘密を探ることに。

しかし皮肉屋でオシャレだったゲイのロジャーは
突然オネエ言葉をやめ、スーツを着て選挙に立候補。
豪快で片付け嫌いだったユダヤ教徒のボビーは
突然家を片付けて貞淑なクリスチャンの奥様に大変身。

一体何が起こっているの?





結論を言ってしまうと、この町の女性たちはみんなロボットだったのです。


ここに来る前の彼女たちはジョアンナ同様のキャリアウーマンでした。
しかし妻たちが自分たちよりも出世して収入が多いことに
不満を感じた夫たちが、彼女らの脳にチップを埋め込むことで
彼女らを思い通りに操り、従順でセクシーで頭空っぽの
「完璧な奥様」に仕立て上げてしまっていたのです。


一見かわいくておしゃれなホームコメディですが
おぞましいホラーSFだったんですよ〜。



原作は1972年の小説「ステップフォードの妻たち」と75年の映画版です
(今回のリメイク版はコメディですが75年版は死ぬほど怖いホラー映画です。
さっきyoutubeで見たのですが、私今夜一人でトイレに行けない)。

女性が権利を求めて立ち上がり始めた時代に書かれたもの。
自分の地位を脅かされるのではと当時の男性が感じていたであろう恐怖が
この「ステップフォードの妻」たちを作ったのでしょうね。

ステップフォードの女性たちはみんな揃って50年代風のファッション。
「古きよき時代の女たちは男に口答えなんかしなかったはずだ」
という幻想と願望を象徴しているのだそうです。
ほんとに50年代がそんな価値観だったか知りませんが。


光る眼」や「エクス・マキナ」もそうでしたが、
新しい価値観が生まれ、これまで弱い立場にいた人々が
声を上げ始めることに対する恐怖や反発を
エイリアンやロボットを通して描くことってSFではよくあるんですね。


この作品でもウォルターは妻のジョアンナが職場では自分の上司であることに
劣等感を感じて悩んでいます。

近所の人々は彼に、いつも口うるさいジョアンナを
ロボットに変えてしまえば良いと勧めます。




ここまで観ていると、ステップフォードの男性たちは身勝手で
自分の価値観を女性に押し付ける悪者だ、と観客は感じます。

作品としては面白いのですが、30年前に書かれた作品を
2000年代に入って今さら映画化する意味ある?
と思ったのですが、リメイク版には今だからこそ描けるどんでん返しがあります。

以下、ネタバレです。


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美女と野獣








あまりにもすばらしい映画だったので今日はべらべらしゃべりません。


何もかも新しいんですが全てが涙が出るくらいなつかしくて、
ずいぶん長いこと忘れていたものを見つけたような、
そういう映画でした。

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すばらしい新世界






悲惨な戦争を経験した未来の世界。
人々は安全で清潔な安定した文明世界を作り上げました。
人間は受精卵の段階から階級に分けられ、条件付けによる刷り込みで
教育・管理されていました。
全てが理想的な世界で一人周囲になじめず孤独を抱えていたバーナードは
旅行に出かけた「野人」保護区で
今は忘れられたシェイクスピアを愛する野人ジョンと出会います。

母親の生まれ故郷である「文明世界」に行ってみたいと願っていたジョンは
バーナードに連れられ、憧れの地へ。
しかしそこは彼が夢見た世界とは、まるで違うものだったのです。




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ディストピア文学ブーム、まだまだ(私の中で)続いております。

こちらはオーウェルの「1984年」と並ぶ未来の管理社会を描いた傑作
と言われています。
「1984年」では、ちょっとでも社会の体制に反する動きをしたらすぐ死刑の
息苦しい相互監視社会が描かれていたのに対し
「すばらしい新世界」が描くのは、とにかく明るくてハッピーな管理社会です。

生まれる前から人間は5つの階級に分けられますが、
「自分の階級が一番幸せ」と刷り込まれているので不満はありません。
好きだと思った相手とは誰とでも、何人とでも付き合うことができます。
歳をとっても肉体が老いることはありません。
副作用のないドラッグ「ソーマ」を飲めば悩みなんてすぐに忘れられます。


とっても気楽で素敵じゃありませんか。
でもこの世界にはあるものが欠けています。
それは「家族」という概念。

人間は人工授精で瓶から生まれる(生産、と言った方がわかりやすいかも)ので、
親、子、血の繋がりといったものはこの世界には存在しません。
それどころか「家族」という考えは古臭くて不潔なものと嫌われていました。
「母親」という言葉はこの世界では最も下品な言葉でした。


そういうわけで、結婚という考えもないわけです。
みんなはみんなのもの。
だから、一人の恋人に執着するのは身勝手で良くないことです。
多くの異性とあっさりした関係を持つことが推奨されます。


この世界で健康に生きていくためには、軽薄でなくてはなりません。

誰もが楽しく生きているように見えるこの世界、
それでも孤独を抱えたバーナードという青年がいました。
外見にコンプレックスを持つ彼は
何もかも軽薄なこの世界に違和感を感じていました。

彼は、シェイクスピアを暗唱する「野人」ジョンと出会い
自分たちの世界に連れてくることに。

母親から「新世界」がいかにすばらしいか聞いていたジョンは
期待いっぱいでしたが、それは違和感と失望に変わります。


食べ物も恋も安全も何もかもあまりにもあっけなく手に入ってしまい、
人々は気づかぬうちにドラッグ漬け。
シェイクスピアの描く複雑で人間的な世界とはまるで違ったのです。





ここからネタバレです。

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ゴースト・イン・ザ・シェル




機械と人間の境が曖昧になりつつある近未来、

難民ボートに乗っていたところをテロリストに襲われ
一命をとりとめたものの、全身義体となったミラ。
過去の記憶は彼女の頭から消えていました。
1年後、彼女は公安9課の「少佐」としてテロから街を守っていました。

ロボットの暴走事件を調査していた少佐は
犯人がなぜか自分を追っていること、
事件の背後には自分が生まれた理由が関係していることを知ります。

自分の生い立ちを調べていくうち、
少佐は1年前に娘を亡くしたという女性に言葉をかけられます。
「あなたは私の娘、素子に似ている」



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予告編を見た印象だと押井守監督の「攻殻機動隊」の実写化だと思ったのですが、
こちらはまた別もののようです。

別ものというか、キャラクターや世界観は同じなんだけど
まったく違う視点で作られた作品だなあと感じました。
「攻殻機動隊」を観たときに感じた、
日本のサイバーパンク独特の空気(学がないんでうまく説明できませんが)
とはちょっと違うものを感じました。



はじめ、少佐がイメージより若く、というか幼く見えたんです。
この作品では少佐に「草薙素子」ではなく「ミラ・キリアン」という名前がつけられています。
彼女を作った科学者のオウレイ博士によると
ミラはテロで攻撃された難民ボートに乗っていた生き残りの女性であり
脳以外の損傷が激しかったため体を全て新しく作り出したとのことでした。

ミラには思い出も古い知り合いもなく、孤独を感じていました。

ときどきフラッシュバックする過去の記憶を追ううち、
彼女はかつての自分を知る人々と出会い、
自分が生み出された理由を知ることになります。

この作品のテーマは義体化がもたらすアイデンティティのゆらぎとか、
人間のたましいとか、そういう難しい哲学的なものではなく
「わたしはだれ、どこからきたの」というすごくシンプルなこと
なのではないかと思います。


はじめ、少佐が幼い印象を持ったというのは
彼女が「自分は他人と違う」と感じ始めるティーンエイジャーの
象徴だからじゃないかなあと思いました。



自分の過去を知りながらそれを隠し嘘をついていたオウレイ博士と
彼女に対し怒りを感じる少佐は
我が子を失うことを恐れる母親と束縛に苦しむ娘といった
描き方をされています。

また少佐は「素子」という娘を亡くしたという女性に出会います。
その母親は少佐が、亡くした娘に似ているといいます。

ロボットを操ってテロを起こしていた謎の人物クゼは
自分が彼女と同じ状況にいることを明かします。


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「ゴースト・イン・ザ・シェル」では少佐は「攻殻機動隊」のラストとは
違う決断をします。

あの名ぜりふ「どこへ行こうかしら、ネットは広大だわ」を
スカヨハさんの声で聞けるものだとばっかり思っていたんで
最初はびっくり仰天だったのですが、よく考えたら
この作品にはこのラストが当然だったのだと思いました。



この作品には少佐を大切に思う人々がたくさん登場します。
「ミラ」の母親であるオウレイ博士、
彼女を父親のように心配する荒巻課長、
「素子」の帰りを待ち続ける母親、
彼女のかつての恋人だったクゼ・ヒデオ、
「ミラ」であれ「素子」であれ彼女を愛するバトー、

はじめは自分がだれともつながりがないことに不安を感じていた
少佐ですが、実はたくさんの人が自分を理解し大切に思っていたことを知ります。

彼らの存在が少佐を現実の世界につなぎとめたのだと思います。

短いシーンですが、最後に素子の母親が
嬉しそうに雛人形を飾っている場面がとても印象的でした。


押井守監督版が好きな人にはちょっと物足りない部分も
あるような気がしますが、

大切なのは過去ではなく
今自分が何をするのか、ということだと
メッセージがわかりやすくて
サイバーパンクというジャンルにとらわれず
共感できるシンプルな作品だと思います。

特に繊細にこころのゆれ動く10代の人に観てほしい作品です。















キングコング 髑髏島の巨神






1944年。
南太平洋のある島に墜落した2機の飛行機。
二人のパイロットは無事島に降り立ちますが
彼らはその島である巨大な生き物を目撃したのでした。



それから約30年後、髑髏島と呼ばれる謎の地に
アメリカからの調査団が降り立ちます。
協力を依頼されたのは、ベトナム戦争帰りの兵士たち。
地層調査のために島を爆撃し始めた彼らの前に
再び巨大生物の影が現れたのでした。


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テレビの宣伝で見ていた感じだと、キングコング映画といっても
ピーター・ジャクソン監督版のような格調高さはなく
エクスプロイテーション映画のような雰囲気を感じていたのですが
というか、正直アクションだけのB級映画かと思っていたんですが

いろいろと深みのある映画だったように思います。





最初はちょっと違和感を感じたんです。

だって調査団の人種や男女比がすごくバランス良くて、
女性キャラクターにはか弱いところが全くなくて
髑髏島の原住民が「野蛮人」ではなく独自の文化を持った
心優しく礼儀正しい人々として描かれているところとか
誰もコングを捕まえて見世物にしようと思わないところとか

原作に少なからずあった差別的な要素がゼロなんです。
もちろんそれが良いとはぜんぜん思わないですけど
歴史の暗い部分を無理やりなかったことにしているような、
なんかみんな仲良しすぎるというかちょっと綺麗事すぎると
感じていたのですが



この映画が描こうとしていたのはそういう表面的なところじゃ
なかったんだとしばらくして気づきました。

パッカードというヘリ部隊の隊長がいるのですが
彼はベトナム戦争で多くの部下を失い、
戦争自体がきっちり決着がつかないまま終わってしまったので
モヤモヤしたものを抱えています。

そんな中髑髏島で彼はまたコングに仲間の命を奪われ深く傷つきます。
(島をいきなり爆撃したのでコングを怒らせて当然のことではありますが)
彼は絶対にコングを倒し仲間の仇を取ると言い張ります。
それはベトナムで失ったものを取り返したいという気持ちの表れでした。

パッカード以外の人々は皆コングが島の守り神であることを理解し
無謀な戦いはやめるように彼を説得するのですが
パッカードは絶対に聞き入れません。
コングを倒すことに異常に執着する彼は狂気的にも見えますが
本心ではコングに勝他なくては失った部下たちが報われないと
必死なのです。


この描写を見て私は「日本のいちばん長い日」を思い出しました。

みんなが戦争をやめようと動き出しているのに
陸軍の青年たちはその動きに逆らうんです。
戦場の悲惨さをいちばん身近に知っているはずの彼らがなぜ、と思ったのですが
やっぱり、あっさり負けを認めてしまっては
これまで失った仲間たちがかわいそうだと考えていたのだそうです。

つらい思いをしたからこそ戦いがやめられない、
というパッカードの描写がとても切なく痛ましかったです。

あと、最後の方で「また会いましょう」が流れるんです。
第二次世界大戦中のヒット曲で、
「博士の異常な愛情」のラストシーンで流れることで有名な歌ですが
「日本のいちばん長い日(リメイク版)」でも流れるんです。
こういうところにもちょっと共通点を感じました。
戦争映画としては「地獄の黙示録」をイメージしているそうなんですが。
最後の「マザファッ…」のせりふにぐっときますね。


人間の話ばかりになってしまいましたがキングコングの迫力もすごかったです。
最初の登場シーンからぶっ飛ばしてるぜって感じです(薄っぺらい感想)。
怪獣映画って怪獣が登場するまで時間かかるのが多いですが
今回はすぐ出てきます。

キングコングって、いつも人間に街に連れ出されて見世物にされる
搾取される自然の象徴みたいなところがあったような気がしますが
今回は人間にそんなことさせない、絶対的な強さを感じさせます。


人間の美女とのロマンスも一切ありません。
とにかく他の怪獣たちと戦いまくる映画です。
美女と野獣の悲恋を求めていた人にはちょっと寂しいですが
余計なことを考えずに楽しく見られる
良い意味での「見せ物」映画なんじゃないかと思います。

原作の「キングコング(1933)」も
もともと密林探検ドキュメンタリーを作っていた監督たちと
もとボクサーだったアニメーターが作った
冒険とアクションが中心の作品だったので
ある意味では原点回帰の作品だったのかもしれません。

原作の制作者で「キングコング」のアイデアを生み出した
メリアン・C・クーパーさんは戦時中パイロットをしていたそうですが
飛行機に乗って見知らぬ土地に行くことが大好きだったそう。
監督を務めたアーネスト・シュードサックさんとも
戦場で出会い意気投合したそうで

「髑髏島の巨神」で敵同士だったアメリカと日本のパイロットたちが
見知らぬ島で出会い、冒険を通して友情が芽生えるというストーリーは
もしかしてこの辺りへのオマージュなのかなあと思います。


原作はもちろん
「食人族」「恐竜100万年」など色々な作品を
思い起こさせるシーンがたくさんあってとても楽しい作品でした。
ワクワクする上にちょっとホロリと泣けます。

これから観に行くという方、
エンドロールになっても絶対に席を立たないでください。

まさかの怪獣が出てきます。